W-America
**1999年7−8月**
<<<W(アメリカ)>>>
2人のアメリカ旅行 JH3TXR/JH3BVH
【まえがき】
まわりのみんなの「当然、新婚旅行は南の島だ!」との予想(?)を覆し、アメリカの東海岸に行ってきました。行程と
しては、ニューヨーク、デトロイト、オーランドの3ヵ所を回ってきました。この寒いのに何でニューヨーク?という疑問もあると思いますが、
私が何故か一度いってみたい所の1つでしたので決行しました。普通はこのシーズンの新婚旅行は南半球だそうですが・・・。
それと、ついでにK8AQM(7J3ABO)のシャックも見たいという気持ちもあり、日程に含めました。リグを持たない楽ちんペディとなり
ました。(本当はこれが主たる目的だったりして・・・)
尚、この旅行の行き先が変則的であるため、通常のパックツアーには該当するものはなく、格安チケットと自分で行きたい所の観光を
組み合せてくれるイージーオーダーのツアーとなりました。(こんなのを商売にしているところがあったようです。ちょっと費用は
高めですが。)
【2/14】
結婚式の当日です。2次会、3次会とYAQのメンバーのみなさんと遊んでいました。
【2/15】
旅行の用意ができていないので、昼間は買い物でさらに夜中まで準備です。
【2/16】
前日に十分に用意ができてなかったので、出発寸前まで、バタバタとJK3DEVやJF3LGCとこまで走り回って
いました。結局、スーツケースの半分はK8AQMのみやげということになりました。
夕方に大阪を出発する飛行機でニューヨークまで直行便でした。空港ではJF3LGCの友達という卒業旅行のおねえさんに
会いました。さすが、シーズンオフのためか機内は比較的すいていました。ほとんどが、卒業旅行のようで、新婚さん
なんか見あたりません。ニューヨークの観光案内書もまだよく読んでいなかったので機内でのフリーの日の行動を決定する
作業となりました。機内食に「幕の内弁当」が出たのには驚きです。
【2/16(日付変更線通過)】
夕方にニューヨークに到着です。11時間ほど乗っていたのに出発より前の時刻に着くというのは何か得したような
気分です。ツアーの会社の人が空港(JFK)まで向かえに来てくれていました。(名前を書いた紙を持って待っていて
くれてました。)このツアーの添乗員さん(というよりは我々の付き添い)が、もう1グループと一緒にホテルまで送って
くれチエックインまでしてくれます。天候は雨。昼は雪だったそうだが、雨に変わったらしいです。思っていたほど
寒くないという感じです。この日は何も予定がないので、日本に絵葉書を出す作業を開始しました。
【2/17】
この日はツアーで1日市内観光。通常はバスで回るそうですがシーズンオフのため我々だけでしたので、普通車で添乗員と
市内をまわります。ツアーの会社の人は運転手とガイドを兼用していました。そのため、我々のわがままもきいて
くれ、臨機応変で対応してくれてました。五番街や中華街などは車で通過しただけです。
自由の女神は、予定ではフェリーで周りをまわるだけですが、「上に登りたい!!」と言ったら、簡単に予定を変更
してくれました。上に登る階段は混雑するのでフェリーが着けばすぐに走っていった方が良いと聞いていたので、先頭で
入口まで走りました。下から冠の所までは細い階段です。体力が必要です。冠の部分は非常に狭い所でした。まあ、
登ってしまえばなんてことない所ですが。
昼食は国連の近くで中華料理。味はまあまあですが、なんせ量が多い!!おまけに朝のホテルの朝食がバイキングだった
ので、ちっと食べすぎの状態で苦労しました。
次は国連ビル。この前には国旗がたくさん揚がっています。国連は観光専用の入り口がありそのセキュリティチェックは空港
以上でした。とにかく時間がないのでざっとみてまわり、地下の土産物屋がなかなかいいという事を記憶にとどめて
おきました。
そのあとセントジョン大聖童という着工後100年も経つのに工事中の教会やコロンビア大学など大急ぎでかけまわってました。
ハーレムも車で通過し、一番安全な所降りてで写真を撮りました。さすがに添乗員のお兄さんも神経をつかっており、
カバンは車に置いておくようにとの細かい指示も出していました。ここでの写真は顔が多少ひきつっているようです。
HI。
観光は16:30ころまでですので、近くの郵便局まで切手を買いに行きました。なんせ、初めてニューヨークをガイドなしで
歩くものですから10分ほどの距離でも緊張しました。この日は昨日の絵葉書に切手をはる作業です。
【2/18】
この日は、ナイヤガラの滝の観光ツアー。これはさらに別のツアー会社(ナイヤガラ観光専門の会社)になります。ですから、
近畿日本ツーリストなどのバッチを付けた人たちと一緒です。(パック旅行のオプションのようです。)
ラガーディアという国内線の空港から飛行機で約1時間のバッファロー空港まで行きます。
ここは雪が降っており、滑走路にまでも雪が積っています。それでも飛行機は発着できるのには驚きました。ここから
さらにバスで1時間。一旦、カナダに入国します。ナイヤガラはアメリカ側で見るより、カナダ側でみる方がいいとの事です。冬でも
滝は落ちていいますが、川には流氷が浮いています。
ホテルの上のレストランで食事をしながら滝をみます。その後は滝の裏からや横などいろんな角度からです。仕上げは
映画観賞です。ナイヤガラの歴史などの映画をでかい画面で見せてもらえますが、字幕もないのでよくわからないので
半分寝てました。買い物の時間もありセーターなど買ってしまいました。ニューヨークまで帰って来たのも遅く、寝ただけです。
【2/19】
この日はフリーにしていたので市内をウロウロする事にしました。元々自由の女神に登るつもりでしたが、先日ラッキーにも
行けたので計画を変更しました。まあ、天気もよくFBな一日となりました。夜はブロードウェイでミュージカルを観ようと
当日券を買いに行きます。
チケットを買って、一旦、ホテルに戻り再び出かけます。先日、国連に行きましたが、少ししか時間がなかったので、もう一度
いってみる事にしました。ホテルから国連までは少し遠いのでタクシーで行きました。ニューヨークのタクシーは怖いと聞いていたので
ビクビクしていましたが、イエローキャブを確認して乗り込み無事に着く事ができました。(さすがに、地下鉄はやめました。)
一昨日、来た時には、国旗がズラーっとならんでいたのに、ポールだけ。こうなると国連ビルもただのニューヨークの高層ビルと
同じではないか!!。気をとりなおして、中に入ります。
国連の売店は、税金がかからない(治外法権なのでしょう)ので安いときいていたので、土産を探します。ついでに
地下で軽食を食べました。
4U1UNは簡単に運用させてもらえないと聞いていたので、シャックを探しもしませんでしたが、ビルの上をみてもナンテナさえ
見つかりませんでした。
その後、5番街を通りブラブラしています。街の土産物屋で買い物をしていたら店員同士が横で、「おまえ中国語
話せるか?」と言っていたので、思わず、「I am Japanease!!」と叫んでしまったのはJH3BVH。すると店員も、「Tシャツ
5枚買えば1枚サービス!!」と片言の日本語で言いだしました。そのうちに別の店員がその日本語を教えてくれといい
ながら、2人で「5枚買えば・・・」と練習をしていたようです。
ニューヨークの5番街あたりは、YLの喜びそうなブランドの店がならんでいます。JH3BVHは、日本にいる時から「ティファニー!!ティファニー!!」
と叫んでいたので、この前は通過するだけでは済みません。(これはJF3LGCのい入れ知恵のようです。)店内は日本人の
YLのパイルでした。
夜は、朝買ったチケットをもってウインターガーデン劇場で「CATS」をみました。ブロードウェイでは他にもいろんな作品をやって
いますが、ミュージカルを初めて見るのと言葉の壁でストーリーがわからない我々にとって、「CATS」は観ているだけで楽し
かったです。感激のあまり、そこで売っていたCDまで買ってしまったのでした。
ホテルまではそんなに遠くないので、歩いて帰り、途中のマクドナルドに立ち寄りました。(なんと、ここでは24時間営業)。
サラダを頼みたかったのですが、これだけが通じないのが情けなかった。メニューを指差し注文できましたが・・・。「最初から
メニューを出せよ!!」と日本語で叫んでいましたが通じるはずはありません。
【2/20】
朝の飛行機でニューヨークからデトロイトに飛びます。昼過ぎには到着。ゲートを出るとTEDが待っていてくれました。Wの国内線の
場合には、一般の人も発着ゲートのところまで行けるのです。TEDの車(マツダの車)でハイウエィを経由し、約1.5時間でADRIANの
TED宅に到着。この時すでに、ARRL INT. CONTEST ではKF8TWのコールで80局ほどQSOしてくれていました。(人のコールでやって
いてくれたと堂々と書けるのがアメリカですね。)TEDの話では前日にJF3LGCとQSOでき、今日のスケジュールも計画してくれたようす。
ADRIANの街のイメージとしてはアメリカ映画に出てくる田舎街を想像してもらえればよいと思います。周りは雪が積っており、
北海道のくらいの所でしょう。気温は-18度だそうです。
いよいよ家に到着です。ガレージのドアはリモコンです。中にはトラックがあり、本当はこのトラックがTEDのものだそうです。(マツダの
セダンは、XYLのでした。)このガレージの奥にはアンテナのパーツが山積みになっており、まるで「OIN倉庫」です。(どこの国でも
同じようなものなのですね。)
TEDの家の戸をあけると、XYLのJUDYが出迎えてくれました。まずは、土産に持って行った日本の小物の贈呈式。だるま、
絵葉書、箸、そばぼうろ、浮世絵Tシャッ等、スーツケース半分の量を持って行いきました。
次はシャックの見学です。シャックは庭の片隅におかれたキャンピングカーです。その中の部屋は大きく2つに分れます。1つはパケット
クラスタの部屋、1つはオペレーションルームです。
パケットクラスタの部屋にはコンピーターとリグが24時間動いています。オペレーションルームには、IC760と1KWのリニアが4セット有り、同時に
QRVが可能。各セットには、CT用のコンピュータとパケットクラスタのモニタが設置されています。庭にはアンテナはタワーが4本ほど建っています。
まあ、日本とは規模がちがいます。
夕食は、メキシコ料理のタコスを用意してくれました。TEDは食べ方の説明をしてくれたのでビデオにおさめて来ました。次は、
JK3DEVの撮ってくれた披露宴のビデオをいっしょに見ていました。
01:00Zのスケジュールの時間(京都タイム)になったので、シャックにQSYし、ワッチを始めました。21.262MHzでJF3PLFの声が聞こえたのは
うれしかったです。ただ、コンデションが悪くレポート交換だけで尻切れになったが、次の日に、同じ時刻に同じ周波数でのスケジールの
確認ができました。JA3YAQメンバー数局とQSOできました。14MHzなどワッチしてもコンディションがいまいちです。TEDが散歩に行こうと
言いだします。JUDYを含め4人で雪の降る中、近くの公園に行きました。その後、アイスクリームを食べに行くなど、夜中まで
うろうろしてました。
帰ってから、シャックで夜中までワッチしていたがJAが聞こえないのであきらめて寝ました。
【2/21】
朝、10時ころに起きると庭には更に雪が積っていました。これでは車も出せないとの事でTEDは雪かきをして道を作って
いました。これが手押し式の小型のトラクターというかラッセル車みたいなもので、雪が降るとこれはTEDの仕事だそうです。
ちなみに、TEDは、6時から起きてコンテストをKF8TWでやっていたようでログを見ると170局ほどになっていました。
TEDは我々のためにこの日はスキーと乗馬を企画してくれてました。ただ、あまりにも雪が多いので危険だという事で
乗馬は中止になりました。スキーといってもクロスカントリースキーで庭を散歩するというような事です。近くのTEDの友人の先生
(この人の名前もTEDです。)の家まで行きました。近くの林で、スキーで遊び、次はソリで遊びます。実はソリで遊んでいた
所はゴルフ場のようです。後で聞いてみると、スキーをしたこの林はTEDの友人のTEDさんの庭でした。
この家では日本人は珍しい(当り前)ようで、娘さんやおばあちゃんなど家族中で歓迎してくれました。そのうちに
日本語を教えてくれと言います。T30でJF3PLFがやった様に日本語教室を始めました。ひらがなの表で説明です。そのうち
TEDは早口言葉を教えはじめます。「なまむぎなまごめなまたまご!!」さらに英訳付きで・・・・
「RAW WHEAT, RAW RICE, RAW EGG・・・!」
夕食にはスペアリブを食べに連れて行ってもらいました。とにかく、量が多く全部食べきれません。店の店員のおねえさんは
JUDYの教え子でした。客のおばさんに、新婚旅行で来たというと驚いていました。ミシガンのそれもこんな田舎街にわざわざ
日本から新婚旅行で来るなんていないでしょうからね?
家に戻り、シャックで再び遊びます。この頃には、コンテストも終っており、00:00ZあたりからJA数局と21MHzでラグチューです。
まあ、今日はコンデションは昨日よりましかな?という所です。
01:00Zのスケジュールの時間になったので指定の周波数をワッチをしました。この時間は日本では、月曜の朝で、みんな仕事だから
出て来ないのではないかと思っていたのでずが、21MHzでJF3LGCとJN3RBEの会話が聞こえてきました。相変らず21MHzの
コンディションはNGでだんだん弱くなってきまきした。尻切れにならないうちにと、14MHzにQSYしゆっくりとQSOができました。
スケジュールQSOのあとコンテストも終っていたのでTEDは、コンテストログを打ち出してくれました。コンテストのデータはリアルタイムでコンピューターに
入っいます。ログはARRLに提出しておくからと言われ、サマリーにサインだけして来ました。ついでに、QSL用のタックシールまで
打ち出してくれました。CTはなかなか便利そうです。結局、スコアは、
BAND QSOS POINTS MULTS
40m 10 30
8
20m 58 174
34
15m 93 279
38
10m 12 36
10
--------------------------
TOTAL 173 519 90 : SCORE 46710
という結果でした。マルチオペ・シングルトランスミッタでログを出すということで、ミシガン州で1位ではないかといっていましたが、
さてどうでしょう?
最後の夜なので、いずれもXYLを寝かしつけ、(お互い家族には気を使います。HI)TEDといろんな話をしていました。
JAの、それも3エリアのQSLを見せてもらうと、JF3PLF、JH3QNH、JA3BAGなどのQSLカードがでてきました。みなさん10年以上前の
QSOです。JF3PLFはおなじみのプリントゴッコのもの、JH3QNHは京都全市全郡アワードのもの、JA3BAGなんか八幡市(だったかな?)
のQTHのQSLです。今度、JA3YAQでここでコンテストやりにおいでと言ってもらいました。
【2/22】
平日の朝に出発の飛行機でしたが、TEDはわざわざ学校を休んでデトロイト空港まで送ってくれました。おまけに空港での
チェックインまでしてくれ、最後まで大変世話になってしまいました。奥さんのほうは、出勤でしたので朝早くに出勤された
ようですが、TEDが我々を送るのにセダンを使うので、トラックでの出勤でした。
さすがアメリカは国内線の飛行機も多いこと!!滑走路に飛行機の順番待ちが出来ています。(「パイルや!!パイルや!!」と
叫ぶJH3BVH)
我々の乗った飛行機はとにかく出発。デトロイトからオーラントまでは予定では2.5時間。出発はほぼ予定どおりなのに、時間に
なっても着きません。どうも空港の上をぐるぐるまわっているようです。雪はないので南の方には違いありません。
機内放送でなにか言っていますが、英語なのでよく解りません。(当然、日本人のスチュワーデスなんかいません)なんとなく、
霧でどうのこうの言っているのはわかりましたが・・・。周りのやつらはブツブツうなっています。どうせこの日は予定が
ないのでいいかと気楽に構えていました。
そのうち、空港に着陸しました。しかし、みんな、荷物を置いて降りています。外を見ると国際空港にしては小さい。
状況がよくわからないので、こちらも必死にスチュワーデスに聞いてみました。その結果、片言の英語で理解できたのは、オーランドの
天候が悪く、違う空港にいるという事だけでした。とにかく待っていろと言われたので待っているしかありません。横にいた
日本人のカップルにも聞いてみたが状況がよくわかりません。ツアーの向かえの人に遅れることを電話をしなければ、今晩泊まる
ホテルもどこにあるか知りません。とにかく、空港ロビーまで降りて、係員のおじさんに「ここはどこだ?」という質問をして
しまいました。やはり、オーランドではないようです。フォースメイヤという名前の空港だということだけがわかりました。公衆電話に
行ますが、ここもパイルです。仕方ないので並んで、自分の番になってかけようとしましたが、今度は使い方がわかりません。
アメリカは先に保証金みたいなものをいっぱい入れるようです。(今でも理解できない!とにかく小銭がいっぱい必要です。)
もーえーーわ!!と、待つ事にしました。空港の売店もパイル!!うろうろしていたら、偶然、飛行機で横に座っていた
オバチャン(外人)に「飛行機に乗れと言うアナウンスがあったよ」と教えられ、空港ロビーと機内を行ったりきたりさせられました。
ようやく再び離陸し、オーランド空港に着いたのは21:30。なんと2.5時間の飛行に対し、7時間遅れ。だれも迎えに来ていなかったら
ホテルまでどうやって行こうか心配でしたか、ツアーの人は我々と同じく空港で7時間待っていてくれたのでした。(感謝!!)
話を聞いてみると、雷雨でオーランド空港が閉鎖になり、飛行機は上空を旋回して待っていたようですが、ダメなので一胆、
フォスメイヤという250Kmほど離れた隣りの空港におりたとの事でした。オーランド空港の閉鎖が解除になって、いざ出発の時に今度は
フォースメイヤ空港が閉鎖になり飛べなかったという事だったようです。
この日はもともと予定がなく、半日ホテルでゆっくりできると思っていたのにさんざんな目に会いました。
夕食も食べていないので、添乗員さんに日本食のレストランに連れて行ってもらいました。(現地の日本食は日本とはちょっと
ちがいますね。たぶん、材料のちがいでしょう。)
やっとフロリダに着いたので、「パパ・リマー・フロリダ!!!のフロリダや!!」とJH3BVHが叫んでいました。
【2/23】
この日はNASA宇宙センタのツアーに参加です。天気は最高!!昨日の嵐はなんだったのでしょう。
20人ほどの日本人とマイクロバスでのツアーです。NASAの観光客用の施設は、ロケットだの着陸船だのが置いてあります。
本当のNASAの施設の中は2階だてバスでグルグル回り、見晴しのいい所でバスから降ります。バス待ちの行列はJAの卒業旅行
ばっかり。そのなかに、紛れこんでいたものですから、横にいた敬老会のおじいちゃんに「ARE
YOU STUDENTS?」と聞かれた
ので、「HONEYMOON!!」と言うとその団体さんはみんなで「CONGRATULATION!!!」と言って拍手をしてくれました。ほんま、
陽気な国ですわ!!!
我々のグループにいた、関西から来た上品なおばちゃん。「私はNASAをみるために来た!!」と自負するだけあって団体の
先頭を歩いています。世の中いろんな人がいます。
スペースシャトルを工場から発射台まで運ぶトレーラーが通るジャリ道の横をバスは通り、発射台が見える所までいまきす。3月に
打ち上げられるスペースシャトルが発射台にセットされていました。
バスは2時間ほどで、観光客用の施設に戻り、後は自由行動。この中で、宇宙服を着た人が歩いています。(ディズニーランドの
ミッキーマウスみたいなものです。)当然、土産物屋もありますからお買い物。宇宙食や逆さま向いても書けるボールペンなどが
ありました。
17:00頃にはホテルに戻って時間がありましたので、売店で水着を買い、ホテルのプールで泳いでいたのでした。(ちょっと、
寒かったけど・・・)その後、近くのディスカウントの土産物屋までブラブラと行き、土産をさがしてきました。
【2/24】
この日は、ディズニーワールドのツアー。関西から来たという2人のおにいちゃんと一緒に、バスで行きます。この日も快晴。
やっぱり普段の行いが良いと違います。
この中では入場料を払えば、中の施設の入場は全て無料です。最初はツアーの添乗員のオバサンの案内で、ミッキーマウスの
家など、ひと通り連れて行ってもらいます。あっちこっちに縫いぐるみを着たディズニーキャラクターがいっばいいます。
ここに来ている子供たちもミッキーの格好をしていたり、客の方も気合がはいってます。
遊園地は自由行動。まず、スペースマウンテンに行こうと言うJH3BVHにつれられ、歩き回っていました。
この中で使えるディスニー・ドルというのがあります。US$にミッキーマウスの絵が書いてある子供銀行のお札みたいなものです。
こんなおもちゃみたいなお札って、本当に使えるの?という疑問もありましたので、$1,$5,$10の全て買ってビデオに
撮り、土産用に$1だけ残して使ったら、本当に使えました。(まあ、本当のUS$もおもちゃみたいなお札ですけどね!!)
この中でも土産物屋は行かないはずはありません。ディズニー関係のものばっかり買っていました。
この夜、別のオプションツアーを申し込んでいたのですが、迎えがなかなか来ないので、電話してツアーの会社と喧嘩して
キャンセルしてしまいした。急に時間が空いたので、昨日よりもっと近くにディスカウントの土産物屋があったのを思い出し、
買い物ツアーと出かけました。さすがにここまでくると、土産が多くなり過ぎたので別の鞄を買い、土産物専用の
大きな荷物が1つできてしまいました。(TED所でスーツケースの半分は空いたはずなのですが・・・)
それから、ホテルのレストランで食事です。ここはステージで歌を歌っています。よくみるとレーザーカラオケ。歌手はプロのよう
ですが、自分で機械を操作しています。客が舞台に上がって歌いだします。私も歌いたかったのですが、英語の歌しか
ないようなのでやめました。HI!
【2/25】
帰りはオーランドから再び、デトロイトまで行き、トランジッシで成田まで。食べられなかったインスタント味噌汁とラーメンを添乗員の
おじさんにプレゼントしてきました。(ホテルには湯沸し器くらいあると思っていたのですが、ありませんでした。)
デトロイトとオーランドでさらに土産を買い(デトロイトにしか免税店はなかった)大量に機内に持ち込んでひんしゅくでした。
【2/26】
夕方に成田に予定どおりで無事に着きました。その日の大阪までのチケットがとれていなかったので、この日は近くの
ホテルで1泊。ニュースを見るとニューヨークの「世界貿易センター」の爆破事件のニュースをやっていました。(1週間ほど前にこの前を
通ったっけ!!)
【2/27】
午前の便で大阪に帰って来ました。やれやれと思ったとたん、京都までの空港バスが事故で運休。大量の荷物を
もって新大阪経由で帰ってきたのでした。
【まとめ】
帰ってニュースを見ると、ニューヨークは爆破と寒波、オーランドは竜巻と凄い状態のようで、タイミングとしては、ラッキーしました。
また、いつものペディと違い寒い所で用意に戸惑いましたが(スーツケースの中はリグではなく、衣類でした。)、普通とちがう
旅行で楽しんできました。(無線もできたしね!!)
最後に、旅行中にお世話になったTED氏、WからのQSOをしていただいたJA3YAQのみなさまに、JH3BVHともどもお礼を
申しあげます。
(おわり)
(この記事は1993年4月から6月京都クラブ会報No.276-278に掲載されたものです。)
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Last Update May 12,1998